にゃほにゃほ読書ブログ

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アンナ・カレーニナの冒頭について考えてたら証明みたいになった

大学生の時に、ロシア文学の授業を取っていた。担当の先生は美人で(厳しくもあった)、授業は奥深く、文学の楽しさを知った。

 

私は当時フランス文学専攻だったが、その授業を受けてから、ロシア文学にも惹かれるようになった。

 

ロシア文学に馴染みのないと思っている人にも、実は日常的に浸透しているのだ。例えば、「古畑任三郎」などのミステリーはドストエフスキーの『罪と罰』がベースになっている。また、「ロリコン」という言葉の元になったのは、ナボコフの『ロリータ』という小説である。

 

そして、今日注目したいのは、トルストイの『アンナ・カレーニナ』の冒頭である。

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全部読んだこともない人も冒頭だけは知ってるという人もいると思う。

幸福な家庭は、皆同じように見えるが、不幸な家庭は様々な形がある。

 

(余談だけど、文学小説に出てくる女性の中でもアンナはトップレベルの美しさである。そして小説としても面白いから読んでみてほしい。)

 冒頭の文はよく引用される。中2の時、赤川次郎の『ふたり』という小説で引用されているのを発見した。その時は引用元が分からなかったので、『アンナ・カレーニナ』を読んだ時、その再会に感動したものだ。最近では、ハラリさん(『サピエンス全史』の著者)の著作で引用を発見した。「知ってる人は知ってるよね」という口ぶりだったから、「おお〜知ってる知ってる」と嬉しかった。

 でも、思う。なぜ、そんなことが起こるのだろうか?確かに、家庭に限らず、幸福な人の理由は同じっぽい。不幸な人は様々なことがある気がする。これが、わかれば「幸福とは何か?」が分かるのではないか?

 そこで、「幸福」というのを大きく3つの要素に分割してみよう。

<幸福な家庭の条件>

(1)家族みんなが健康であること

(2)家族が仲がいいこと

(3)家族が暮らせるお金があること

まあ、他にもあるかもしれないけど、大体この3つに繋がってくる。

すると、幸福な家庭とは、(1)〜(3)全てが揃っていることである。

ということは、この条件の中だと、幸福な家庭は1通りである。

 

 では、不幸な家庭は?

少なくとも1つが欠けている場合である。

誰かが、病気だったりとか、貧乏だったり、仲良くなかったり、それでも幸福と言えるケースもあると言われるが、3つ揃っている幸福には敵わないだろう。

そうすると、(1)〜(3)一つが欠けているのは、3通り、二つ欠けているのは、3通り、全部欠けているのは、1通りで、計7通りである。

不幸な家庭は、幸福な家庭の7倍のパターンがあることが証明された。

 

なんだか数学の証明みたいになってしまった。幸福を構成する要素をもっと細かく分けると、より不幸なパターンは増えていくが幸福な場合は1通りのままである。

幸福とはいくつかの要素でできている、全部満たせば幸福である、と言えるだろう。

 

ただ、この場合の幸福っていうのは、他者から見た幸福でしかないと思う。

アンナ・カレーニナのように、物語になりうる幸福と不幸だ。今風に言うと「SNSで自慢できる幸福」である。

 

家庭の構成員である個人が感じる幸福は、それとはまた別である

幸福の条件を満たしてなくても、幸福を感じることができる。

また、条件を満たしていたとしても、幸福だと思えない人もいる。 

 

何があれば個人は幸福だと思えるのか?それは、別途探ってみたい。