にゃほにゃほ読書ブログ

ゆるく読書感想文を書いてるブログです

伊藤さんの帯が熱い!〜『動物裁判』を読んで〜

www.amazon.co.jp

読んだきっかけは、 伊藤さんが書いた帯だった。私は伊藤さんのことを知らない。でも、伊藤さんがそこまで言うなら、読んでみたいと思ったのだ。 

f:id:tu_vas_qui:20200701231043j:image

 (※裏側に伊藤さんが書かれた帯ということが示されている)

 

実際は、こんなにハイテンションでなく淡々と書かれているのだが、内容とのギャップがまた面白い。

 

内容は、中世ヨーロッパにおいて、人を殺害した豚などの動物や、畑に損害を与えたネズミや虫などに対して裁判が行われていた、というもの。

 

虫は、全員「出頭」させるわけにはいかないので、代表して何匹かを集めるらしい。この様子を想像した時、つい今のの感覚で「かわいいなあ」と微笑んでしまったが、当時の裁判は大真面目だった。

 

後半は、動物裁判が行われた背景が書かれている。それは、ヨーロッパの人々の自然に対する認識に大きく関わってくるものであった。

 

古代〜初期中世のヨーロッパでは、自然は人間を脅かし畏れるものだった。神の怒りを鎮めるために、人間や動物が生贄として、捧げられた。しかし、キリスト教の「人間中心主義」が広まり、人間が技術を身につけてきた中世になってくると、人間の秩序を乱す自然に対して、自然が責任を負わせられることになった。その産物が、動物裁判、なのである。そして現在、環境問題や動物保護で自然から人間が裁判される時代でもある。

 

私自身の考えとしては、人間が自然に裁判を起こすのはもちろんだけど、自然から人間が裁判を起こすのも、おかしいと思ってる。自然については、まだまだ分からないことばかりにもかかわらず、裁判の代理になるのは、人間だ。人間が完全に自然の気持ちを理解しているとは言えないため、人間同士の争いになってしまう。

 

それでも、人間は、自然の一部だと言うことを常に忘れないでいたい。地震などの災害によって、多くの人が犠牲になる。今はウイルスに太刀打ちできないでいる。一方で、人のほとんどの食べ物は、何かの動物や植物からできている。周りの動物も植物も、殺さなければ、生きていけないのだ。たまにそれを忘れてしまうけれど。

 

私たちは、自然と迷惑をかけ合いながら、生きていくしかない。

せめて、いただきます、って言おう。

それで自然が許してくれるとは思わないけど。