本の面白い時とつまらない時を分類した
本が面白い時、つまらない時って、どんな時だろう?
本の知名度や評判にかかわらず、読後に、ある一定の思いを持つ。
それが、なんとなく自分の中で分けられそうだから、分類してみた。
<面白いと思った時>
1.自分の前々から思っていたことが言語化された。
読んで初めて、自分はこんなことを考えていたのだと気づけるのは、一番気持ちがいい。評論では、自分の考え方が整理される。短歌や俳句、小説やエッセイで私の潜在的な思いが表出されたものを読むと心が洗われた気分になる。
2.新しい知識と考え方を得て、それに納得した。
新しい知識を得る。知識は思考につながる。そういう考え方があったのか、と思える。こういう本を読むのが本当に意味のあることだと思う。読みやすい形で新しい考え方を書ける作者って尊敬する。私が人に勧めたり、読書会で紹介したりする本は大抵この分類。
3.自分とは真反対の考え方なので、反論を考えることで自分の考えが深まった。
否定的な先入観を持って読むと、本当に言いたいことが理解できなかったり、書いていないことまで読んでしまうことがある。だから、頭ごなしに否定せずに、作者と討論しながら読んでいる。そうすると、自分の考えが変わることもある。人とのコミュニケーションもそうだと思う。
<つまらないと思った時>
1.通説と変わらない結論。
評論や新書系はタイトルで大体想像がつくから避けることができるが、タイトルから予想できない小説にもある。小説の読みやすさに惹かれて、読むと結局よくあるタイプの話。結局あのパターンか、とがっかりしてしまう。言っておくが、小説としての価値がないとは思ってない。ネタバレしない程度に丁寧に紹介文をつけてメルカリでお売りさせていただく。
2.難解過ぎる。
難解な本との戦いは好きなのだが、試合放棄しがちだ。息抜きのネットサーフィンの時間が多くなり、私は読書が本当に好きなのか自問自答することになる。難解タイプの本は、売ることはない。次の戦いまで取っておく。
以上のように分類してみた。
自分の感情や感覚を書いてるだけだから、他人にとっての面白さとは違うと思う。
でも、以上の分類が、誰かにとって、「面白い」に分類されるものであるとうれしい。