本はこう読むことにした宣言
本が好きだ。
本は呼吸するように読みたいし、家中本棚でいっぱいにしたいぐらいだ。
須田敦子さんのエッセイにもあったように「塩1トン分の読書」をしたい。
そう思って生きてきた。
本好きを公言していたし、本屋に行って面白そうな本があれば迷わず買った。
でもある時、ふと思った。
読んだ内容を、思い出せなければ、本棚に埋め尽くされている本は、ただの紙なんじゃないか?
それでもいい、と思った時期もあった。
たとえ、忘れていたとしても、深いところで自分の血肉となっているはずだ。
そんなことを信じていた。
しかし、兼業主婦になり、お金や時間を大事に使いたいという思いが現れてきた。
「節約」という言葉は好きじゃない。
せっかくの人生は攻めていきたいからだ。
ただ、かけた時間やお金を、必ず意味のあるものにしたい。
そうするには、読んだ本を確実に自分のものにしなければ。
そう考えて、これからはこのように本を読むことにした。
「ある分野を本で学んだら、関係する本を3冊以上まとめて読む」
新しい知識とは、初めて出会った人のようなものだ。
異業種交流会では、名刺交換をして軽く雑談をする。マッチングアプリで出会った子は、一緒に食事をする。
その時は、気が合うと思っても、しばらく連絡を取らないでいると、何の話をしたかとか、印象さえも忘れてしまう。
しかし、その人と、偶然別の場所で出くわしたらどうだろう?
マッチングアプリで出会ったあの子、ジムが一緒だった!異業種交流会のあの人、同じ電車に乗ってた!
初めて会った時よりも、ずっと印象に残る。
また、2回目なら「どっかで見たことある人なんだけど、誰だっけ?」となっても、3回目なら確実に思い出すだろう。
ストーカーされてるみたいだ・・・・。とさえ感じるかもしれない。
でも、好感を持っていれば、「運命の出会い!」と思える。
読書における知識も、この「運命の出会い」を頭の中に、作り出す。
知識を脳にストーキングさせて、身につけざるを得なくしてやる。(こわい)
こう仮説を立てた。
もしこの方法がうまく行って、私が読書術を伝授するような未来がきたら、こう言いたい。
「1つの分野につき、1冊読むのは娯楽、2冊読むのは雑学、3冊読めば知識」
なんか、それっぽいこと言ってるでしょう?
今は、「生命科学」(オートファジーとかゲノム編集とか)を知識として学んでいる。3冊を関連づけて読むことで、知識の補い合わせができるし、もっと知りたいと思ったことは、インターネットも積極的に頼ることができる。本は本屋派だったが、Amazonで初めて本を注文したし、キンドルの導入も検討している。
今まで本好きと言いながら、本屋以外の出会いを拒んでいたことが恥ずかしい。偶然の出会い、本への一目惚れは確かに楽しいが、目的に合わせて知りたいことを選べると、時間も大事にできる。
でも娯楽的な読書も無くしたくないのである。
畑を三つに分けて、それぞれ違う作物を育てる農法を世界史で習った気がする。
私の読書時間も3つに分けたいのである。
1.知識を身につけるための読書(3冊関連読書法)
2.娯楽的な面白い本読む(乱読)
3.洋書よみ(英語の勉強に近い)
こんな風に同時並行していこう。